東京地方裁判所 平成元年(ワ)5318号 判決 1989年9月29日
主文
一 原告の甲事件請求を棄却する。
二 被告の乙事件請求を棄却する。
三 訴訟費用のうち、甲事件について生じた費用は原告の負担とし、乙事件について生じた費用は被告の負担とする。
事実及び理由
一 請求の趣旨
(甲事件)
1 被告は原告に対し、別紙物件目録二、三記載の建物(以下本件建物という。)、及び同目録記載の風呂場等(以下本件風呂場等という。)を収去して、同目録一記載の土地(本件土地という。)を明渡せ。
2 被告は原告に対し、平成元年四月二八日から右土地明渡済に至るまで月額一五万六六七七円の割合による金員を支払え。
(乙事件)
被告は原告に対し金五〇〇万円及び内金二〇〇万円に対する平成元年六月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 事案の概要
1 原告は昭和四〇年一〇月一五日訴外荒木侑に対し、原告所有に係る本件土地を次の約定で賃貸した。
(一) 目的 普通建物所有
(二) 賃料 月額二〇〇〇円
(三) 賃貸借期間 二〇年
2 荒木侑は本件土地上に本件建物を建築所有した。
3 荒木侑は昭和五三年三月一二日死亡し、その妻である被告が本件土地の賃借人たる地位と本件建物所有権を相続承継した。
なお、その後被告は、本件土地上に本件建物の付属建物である本件風呂場等を建築した。
4 原告は昭和六〇年一一月被告に対し、賃貸借期間経過後の本件土地の継続使用につき遅滞なく異議を述べるとともに、昭和六一年三月三一日浦和地方裁判所越谷支部に、期間満了による賃貸借契約の終了を理由として、本件建物を収去して本件土地の明渡を求める内容の、建物収去土地明渡請求訴訟(同裁判所昭和六一年(ワ)第一一三号、以下前訴という。)を提起したが、同裁判所支部は昭和六二年一二月二二日原告の請求を棄却する旨の判決を言渡した。
原告は、右判決を不服として昭和六三年一月一九日東京高等裁判所に控訴したが(同裁判所昭和六三年(ネ)第一七二号)、同裁判所は昭和六三年一一月一七日口頭弁論を終結したうえ、平成元年一月二六日控訴棄却の判決を下し、同判決は同年二月確定した。
5 そこで、原告は平成元年四月二四日被告に対し、本件建物及び本件風呂場等を収去して本件土地の明渡を求める、再度の訴訟(本件甲事件訴訟、以下本件後訴という。)を東京地方裁判所に提起したが、その理由とするところは次のとおりである。
(一) 被告は遅くとも昭和六三年八月ころには本件土地のうち別紙物件目録五記載の土地部分(以下本件転貸土地という。)を、本件土地北側に隣接する土地所有者黒田照明に車二台の駐車場、犬小屋の置き場等として転貸した。
(二) そこで原告は、前訴控訴審の和解期日である昭和六三年一一月一七日に、被告に対し現状回復を催告したうえ、平成元年二月二七日、右の無断転貸を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
6(一) これに対し、被告は、以下の理由により、本件後訴が前訴の既判力に抵触するものであるか、または、原告による本件後訴の提起は訴訟上の信義則に反するものであって、いずれにせよ、本件後訴は不適法であり、却下を免れない、と主張した。
(1) 前訴の訴訟物は、原告から被告に対する「賃貸借契約終了による本件土地明渡請求権」そのものであり、本件後訴のそれと同一である。
前訴と本件後訴とで明渡を求める理由に差はあるが(前訴においては「期間満了による賃貸借契約の終了」を理由とするのに対し、本件後訴においては「無断転貸による契約解除」を理由としているが)、それは攻撃方法の差にすぎない。
(2) 既判力の基準時である前訴控訴審口頭弁論終結時の後に原告が解除権を行使したとしても、本件においては、解除原因たる事実が基準時以前から存在し、原告において基準時以前に解除権を行使することも可能であったのであるから、基準時以前に存在した解除原因たる事実の主張は、前訴判決の既判力によって遮断されるというべきである。
(3) 原告が主張する「車が置いてあった」等の外形的事実は前訴の訴訟提起当時(昭和六一年当時)から存在し、その事実関係に変更はなく、当時から原告も認識していたものである(そのことは、昭和六三年八月三〇日の前訴控訴審の期日に原告から証拠として写真等〔<証拠>〕の提出があったことからも明らかである。)。
したがって、原告が本件後訴で主張している事実は、原告において前訴口頭弁論終結時までに主張することが可能なものであったのであり、これを前訴敗訴判決確定後になって主張することは、訴訟上の信義則に反する。
(二) また、原告の無断転貸の主張に対しては、被告はこれを否認し、原告主張の車二台は、黒田照明から無償で預かっていたものに過ぎず、土地を転貸したものではない、黒田照明の車を預かるについては、地主である原告の了解を得て車庫証明書も原告から貰っている、と主張した。
7 右6項の被告の主張に対し、原告は次のとおり反論した。
(一) 前訴は、期間満了による賃貸借契約終了を理由としたものであるのに対し、本件後訴においては無断転貸による契約解除(形成権の行使)を主張するものであって、事実を異にするのみならず、原告において解除権を行使した時点は前訴の控訴審口頭弁論終結後のことであるから、右のような解除権の行使の主張は、前訴判決の既判力によっては遮断されないと解すべきである。
(二) 仮に、口頭弁論終結時までの無断転貸を理由とする解除権の行使が既判力によって遮断されると解すべきだとしても、原告は、前訴の控訴審口頭弁論終結後に無断転貸を継続した事実をも被告において解除理由としたのであるから、口頭弁論終結後の事情を理由とする解除権行使については、前訴判決の既判力によって遮断されることはない。
8 他方、被告は原告に対し、原告の本件後訴の提起が不法行為に当たるとして、本件乙事件損害賠償請求訴訟を提起したが、その理由とするところは次のとおりである。
(一) 原告が主張する「車が置いてあった」等の事実は、前訴の訴訟提起当時(昭和六一年当時)から存在したことを原告において認識していたにもかかわらず(そのことは、昭和六三年八月三〇日の前訴控訴審の期日に原告から証拠として写真等〔<証拠>〕の提出があったことからも明らかである。)、前訴においてはこれを主張せず、前訴敗訴判決確定後になって、それを理由として、契約解除を主張することは訴訟上の信義則に反する。
(二) しかも、その契約解除通知は、なんらの催告もなく、いきなり、前訴確定後ただちに発したものであって、きわめて不当である。
(三) さらに、被告は、原告主張の「車、犬小屋等」をすべて平成元年三月四日までに撤去したが、原告はこれを被告から通知を受けて承知しているにもかかわらず、平成元年四月二四日本件後訴を提起したものであって、その訴訟の不当、不法性は明らかである。
(四) したがって、原告の本件後訴は訴訟制度を乱用するものであって、被告に対する不法行為に該当し、許されない。
(五) 原告による本件後訴に応訴するため、被告は弁護士本橋光一郎、同城内和昭に訴訟代理を委任し、着手金二〇〇万円を同弁護士に支払い、成功報酬として三〇〇万円を支払うことを約したが、右合計金五〇〇万円は原告による右不当訴訟提起により生じた損害である。
9 被告の右の主張に対し、原告は、本件転貸土地の外形的状況から、右土地が他に転貸されているのではないかとの疑いを持つに至ったが、原告においてはその契約内容の詳細はもちろんのこと、その相手方の氏名についても知る立場にはなかったから、前訴当時、原告において被告に対し無断転貸による契約解除の主張が可能であったとは言えない、と主張した。
三 甲事件の争点に対する判断
1(一) 前訴の判決が確定することにより既判力が生じ、前訴控訴審の口頭弁論終結時である昭和六三年一一月一七日(既判力の基準時)現在で、原告が前訴の訴訟物である「賃貸借契約終了による本件土地明渡請求権」を有しなかったことが確定するとともに、右の時点以前に存在した一切の「賃貸借の終了事由」は、右既判力の効果により遮断されることになるから、以後、当事者である原、被告においてはこれと矛盾する主張をすることは許されず、また裁判所においてもこれに抵触する判断をすることは許されないことになるものといわなければならない。
したがって、原告は前訴控訴審の口頭弁論終結時である昭和六三年一一月一七日以前に存在した「無断転貸」の事実を理由としては、本件後訴の訴訟物である本件土地明渡請求権を基礎づけることは、許されないものといわなければならない。
(二) なお、原告は、前訴は期間満了による賃貸借契約終了を理由としたものであるのに対し、本件後訴は債務不履行(無断転貸)による契約解除を主張するものであることから、前訴と本件後訴とでは訴訟物を異にするとの見解に立脚しているかのごとくであるが、賃貸借契約終了事由の差異は、たんなる攻撃防御方法の差異であって、これにより訴訟物に異同を来すものではない。
また原告は、本件においては、既判力の基準時である前訴控訴審口頭弁論終結時後に解除権を行使したのであるから、右基準時以前に存在した事実を解除原因として援用することも許される旨の主張をするが、右見解を採用することは、ひっきょう当事者の恣意により既判力の効果を浮動状態に置くことになるから、許されないものというべきである。また、解除権の性質が形成権であることをもって、別異に解すべき根拠もないから、原告の右の主張は採用できない。
(三) そうすると、既判力の基準時以前に存在した解除原因たる事実の主張は、前訴判決の既判力によって遮断されることになるから、原告において、本件土地明渡請求を基礎づけるものとして主張する事実中、前訴控訴審の口頭弁論終結時である昭和六三年一一月一七日以前に発生した事由を解除事由とする部分は理由がないものといわなければならない。
2 次に原告は、本件賃貸借契約の解除事由として、前訴控訴審の口頭弁論終結時である昭和六三年一一月一七日以降の無断転貸の事実を主張するので、この点について判断する。
(一) <証拠>を総合すると、本件土地北側に隣接する土地所有者黒田照明が、前訴控訴審の口頭弁論終結時である昭和六三年一一月一七日以後、本件土地内の北側の空地である本件転貸土地上に自動車二台を駐車させ、またその一部を犬小屋等の置き場として利用していた事実があり、被告もこれを許容していたものと認められること、そこで原告は、平成元年二月二七日、右の事実は無断転貸に当たるとして本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたところ、被告及び黒田照明は平成元年三月四日までに本件転貸土地上から右の自動車等を撤去し、旧来の状態に復したうえ、同月六日付でその旨を原告に通知したこと、以上の事実を認めることができる。
(二) 右の事実によれば、被告が黒田照明に使用を許していた土地の範囲は本件土地の一部にすぎず、使用形態も自動車の駐車等であって、その現状回復につき、格別の費用を要するとか、物理的に困難を伴うとかの事情は認められないうえ、被告らにおいては、原告の解除の意思表示が到達後すみやかに旧来の状態に復していることが認められるから、右の程度の事実では、原、被告間の賃貸借契約を解除しなければならないほどの重大な契約違反があったとまでは、認めることができない。
(三) よって、原告の右の解除事由の主張も理由がない。
3 そうすると、原告の甲事件請求は理由がない。
四 乙事件の争点についての判断
1 ところで、原告は、期間満了による賃貸借契約終了を理由とする前訴と、債務不履行(無断転貸)による契約解除を理由とする本件後訴とは、訴訟物を異にするから、本件後訴における原告の主張は前訴の判決の既判力によって遮断されないとの独自の見解に基づいて本件後訴を提起したものと解されることは前記のとおりである。
2 被告は前訴の既判力に抵触するにもかかわらず、あえて提起した原告の本件後訴の提起行為は、不当訴訟であって、被告に対する不法行為を構成する旨の主張をするが、かっては、期間満了による賃貸借契約終了を理由とする土地明渡請求と債務不履行(無断転貸)による賃貸借契約解除を理由とする土地明渡請求とでは、訴訟物を異にするとの多元説も存在したのであるから、原告が右多元説の立場に立って本件後訴を提起したとしても、その行為につき、ただちに過失があるとすることはできない。そして、他に原告に過失があることを認めるに足りる証拠はない。
3 そうすると、被告の本件乙事件請求は、その余の点を主張するまでもなく、理由がない。
五 結論
以上の次第で、原告の本件甲事件請求及び被告の乙事件請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担についてそれぞれ民事訴訟八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺剛男)